
好きな聖書のコトバがあります…▶︎▶︎▶︎
【神は、あらゆるものを相俟って益に導かれる】
宇宙の摂理は、各々の人が霊性を高めて
魂を洗練していけるような環境や状況
そして、人間関係に縁を結んで導いてくれる。
すべての出来事に
神性のインテリジェンスが浸透していて
さまざまな要素や出来事が共同で作用する。
だから、偶然や無意味なものはなく。
個々の出来事を単独で見た場合には
理解できないかもしれませんが
時の制限も超えて全体として見ると
神がかった計画の一部として機能しています。
ひとつひとつの点となる個々の出来事は
大きな織物の一つの糸のように
それぞれの経験が、より大きな
目的に向かって織り込まれていて...
それは、目には見えない神聖な設計図のよう。
時間を超越して視るなら
たとえば、現在の困難も
未来の祝福の種となり得る。
「今」という瞬間は
永遠の時の流れの一部。
過去の痛みが、将来の成長の糧となる。

現代科学でも、宇宙の精緻な設計が
少しずつ明らかになっています。
物理定数の微細な調整、
たとえば、重力定数
電磁力の強さ、素粒子の質量
これらがほんの僅かでも異なれば
生命は存在できないし
DNAの精巧な構造、
細胞内の精密な制御機構
生態系のバランス
こんな複雑なシステムの繋がりの中に
多様な生命を存在させるための
奇跡のような高次の仕組みが組み込まれています。
生命の研究をしていた天文学者フレッド・ホイル博士は
生命を維持するのに欠かせない
タンパク質(酵素)の条件を考慮したうえで
生命に必要なタンパク質が偶然にできる確率は、
10の4万乗分の1になると試算しました。
それは例えると
「がらくた置き場の上を竜巻が通りすぎたあとに、
ボーイング747、いわゆるジャンボジェットが
組み上がっているようなもの」だと彼は表現しました。
ちょっとイメージしてみてください、がらくた置き場から。
普通にあり得ないですよね。
だから私たちが今体験している生命が
存在しているということだけでもキセキ。
さらに、私達の人生の営みの中で
出会いは偶然ではなく必然と感じたことはありませんか?
困難な関係性も成長のための試練だと
知る体験を、多くの方がされている
のではないでしょうか。
試練や困難は強さを育む機会となり
失敗は、謙虚さや工夫を学ぶ体験となり
痛みは、思いやりを育てる種になっていきます。
それらは後から振り返ってわかること。
困難な体験だけではない、たとえば
ワクワク、ガクブルで一歩踏み出したことや
ふと思って、なんとなく始めてみたこと
深く考えず、ただ続けていたこと
そんな一歩一歩の点と点が繋がって
やがて線となって、あなたをあるべきところへ
連れていってくれた流れ。
振り返れば「全てここへ来るための
道筋だったのだ」と感じる神聖な瞬間。
そんな体験をされたことがある方も
多いと思います。
この聖書の一節の「益」は
物質的な成功や幸福だけでなく
精神的な成長や神性との深い関係、
カルマを乗り越えることなど
広くて深遠な意味も含んでいて。
あー…美しきかな✨と感動するのです。

この真理を日常生活で活かすには
人生の中で起こる出来事に、澄んだ意識で
出逢っていくことが大切だと思います。
そしてどのように向き合っていくのか。
「なぜ」ではなく「何を学べるか」と問うこと。
困難も、成長の機会として受け容れて
より大きな計画の一部と捉える。そして、
あらゆる経験に感謝できる部分を見出すこと。
すべての出会いに対してもそう。
困難な関係性には、相手を通じて
自己を映し出す鏡として向き合ってみる。
世話しない日々の中でも
意識は「今」という瞬間の
神聖さを感じることに向けてみる。
すべてが完璧な計画の一部と思ってみる。
深刻になる必要はありません。
知性と感性の両方をバランス良く使って。
そして毎朝、
今日という日に込められた意味を感じて
大切に大切に生きたいものですね。
私は今この瞬間、何を想っているでしょうか?
私は今この瞬間、これを書きながら
この短い人生で出会う方々との
貴重なご縁に想いを馳せています。
奇跡の中のキセキの一期一会。
これを読んでくださっている方とのご縁に
心をから感謝の気持ちをこめて。
【神は、あらゆるものを相俟って益に導かれる】
📖新約聖書のローマ人への手紙8章28節
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